こんばんは、ちーも(@chihiro_ojima)です。
みなさんは人を本気で殴ったり、蹴ったりひどいことができますか?
おそらく僕も含め大多数の人間は人を殴ることができません。
というより殴るようなシュチュエーションが普通に生きていればないはず。
戦争などの極限状態もそう。一人一人は普通の市民かもしれませんが、戦地では殺したり、殺されたりするので精神的にはおかしくなります。
集団対集団、もしくは集団対個といった形になった時に、集団側って絶対罪の意識が薄くなります。
実はいじめなどの心理も同じものが当てはまるはずです。
今日は父の子供の頃の話を交えてその辺りを解説できたらと思います!
【群集心理】人が集まると罪の意識が軽くなる気がするから気をつけるべき
人は一人ひとり人格が異なり、それぞれに思想なんかのバックグラウンドが違います。
でもこの人間社会に生きている僕たちは、学校や会社に所属しなければなりません。(特に子どもたちは義務教育を必ず受けなくてはいけないしね)
つまり集団には必ず所属しなければならない。
意図的にではなく、たまたま〇〇小学校の同じクラスとか、同じ〇〇会社の同僚(もしくは部下、上司)といった関係になっただけなのに協調性が求められます。
その集団には絶対に、同調圧力(みんなと同じ形であることを強要すること)や、そのリーダー的存在の承認欲求がからんできますよね。
で、そのリーダー的な人や取り巻きの考えは思考じゃなくて、感情で暴走することがあるんですよ、それがいじめですよね。
これは結局社会にでても同じ構造です。
人格は関係ない、集団での無意識の暴力
個人の思考は無視され、感情で動く集団は恐ろしいことに個の罪の意識がかなり薄いんですよ。
ちょっと文字にするのも嫌な事件ですが、千葉かどこかで女性が生き埋めで殺された事件があって、何人かいる犯人の中の主犯格に接見したジャーナリストがこういう感じのことを言ってました。
「主犯格はおとなしく、おどおどした様子で弱々しい普通の青年だった。」
そういった凄惨な事件の多くは、普通の一般人が集団意識の中でおかしくなってしまったのではないかなと思います。
つまり無意識の暴力とか悪意は集団の中の個人、もしくは集団そのものを恐ろしい怪物に変えてしまうんです。
少年時代に父が割ったスイカから学ぶべきこと【具体例】
僕の父は小学生のころ、近所のスイカ畑のスイカを仲間数人と棒で全部割るといった、イタズラをしたことがあったそうです。
それで見つかってものすごく怒られたそう。(当たり前ですが・・・)
結局は少年たちの親たちで謝罪をし、スイカ代を払ったそうですが、父親はその時のことをこう言ってました。
「スイカをなんで割ろうと思ったのかわからない。割って農家の人を困らせたかったわけでもないし、でも一緒に遊んでいたグループの勢いでやってしまった。」
「だから、自分が集団にいて悪意のある行動が始まりそうなら、必ず冷静になり、止められるなら止め、止められないなら離れなさい。集団では罪の意識が薄れるという怖い体験をしたから。」
【結論】集団での悪意に敏感になり、気づいたら距離をとろう
今回は集団心理では罪の意識が薄くなり、通常であれば、個人であればできないような悪いことや、暴力なんかができてしまう場合があるということを説明させていただきました。
自分が集団側に所属しているなら、心の中に「集団での悪意に敏感になろう」と留意いただくだけで、実際にそういったシュチュエーションが来た時に同化しなくなります。
もし悪意が向けられる側、つまり個人である場合、逃げられるのなら逃げてください。
その先は逃げてから考えても遅くありません。
小学生や中学生・・・社会人になってもいじめがあって自殺する人をニュースなどで見るたびに思います。
まず逃げたらそのあとゆっくり作戦を立てられるから、選択肢として不登校や出社拒否だって僕はいいと思ってます。
逃げるが勝ち、、いや逃げるが価値です。
では、また!
コメント
コメント一覧 (1件)
全くその通りだと思います。
私もいじめられやすい性格で、小学校中学年から中学時代が1番ひどくかったです。
いじめられる以前は傍観者でした。
いじめられて集団心理の怖さに気づいたので良かったです。
私は同級生のようにはなりたくないと思って結果かなりの天邪鬼になってしまいましたが、、、
よく考えるとホロコーストやアパルトヘイトや渋谷のハロウィンも集団心理が働いていますよね。
ヒトラーは群集心理という書籍を読んでたらしいです。
集団心理は日本だけって言う人がいますが、ホロコーストとかを考えると海外にも少なからず存在するのではないかと思います。
ちなみに千葉の事件の被害者は割と近所の人だったので当時はヘリコプターがすごかったです。